東京地方裁判所 昭和52年(ワ)8567号 判決
原告
松田康信
右訴訟代理人
早川雅夫
被告
株式会社第一勘業銀行
右代表者
村本周三
右訴訟代理人
宮沢邦夫
伊藤真
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一〈省略〉
二被告の責任の有無
1 そこで、被告係員に前記当座勘約の締結に当り過失があつたかどうかについて検討するに、〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、東京都新宿区及び同都東村山市において松田歯科医院を経営する歯科医師であるが、昭和五〇年八月頃、アリコ・ジヤパンの代理店業務に従事していた訴外上村の訪問を受け、同人より生命保険の加入を勧められ同人を知るに至り、その頃、同人を介して生命保険に加入した。
(二) 右上村は、同年九月九日AIUと代理店委託契約を締結した。
(三) 右上村は、AIUの代理店業務に従事していたところ、保険料の団体割引のため「医科歯科保障共済会」なる団体の設立を企図し、共済会業務計画書、共済会規約なる書面を作成のうえ、新宿区所在の原告方診療所を訪れ、原告に対し、同会理事長の就任方を依頼したが、原告はこれに応じなかつた。
なお、右上村は、その頃、原告に無断で前記ゴム印及び丸形印を作成した。
(四) 右上村は、品川区東大井四―七―一四の豊川ビル六〇一にAIUの代理店を設けていたが、そこに共済会の看板も掲げ、共済会名義にて医師、歯科医師を対象にして所得保障保険の募集に当たつていた。そして、同年一二月三〇日には三菱銀行五反田支店に共済会理事長松田康信名義の当座勘定口座を開設した。
なお、同行との当座勘定契約は同五一年三月一一日に解約されている。
(五) その後同五一年一月頃、前記豊川ビルの事務所で、右上村は、被告銀行五反田支店係員下田毎次に対し、三菱銀行五反田支店と当座勘定取引のあることを告げたうえ、前記共済会業務計画書、同会規約なる書面及びAIUとの代理店委託契約書を提示し、共済会の業務については理事長松田康信からすべて任されていると説明し、同会理事長康信名義にて当座勘定契約の申込をした(同年一月二一日右当座勘定契約の成立したことは、前述のとおり、当事者間に争いがない。)。
なお、これに先立つて、右上村は、被告銀行五反田支店外富士銀行など都市銀行数行に「AIU医科歯科保障共済会」名義で普通預金口座を設けていたが、新たに被告銀行五反田支店と当座取引を希望する理由として、同人は、被告銀行の係員に対し、被告銀行は支店数が多く、全国にわたる医師を共済会員としているので会費払込みに便利であり、また共済会としてもAIUに対する保険料の払込みに小切手を使用する便宜があるということを説明した。
(六) 被告銀行係員下田は、右の事情に加え右上村提示の共済会役員名簿の記載から、右共済会が実体のある団体であると判断し、その後、三菱銀行五反田支店に右共済会の信用照会(但し、取引の有無のみ)をし、また手形交換所に取引停止処分の有無の照会をなしたうえで、右上村の言を信用するに至り、共済会理事長と表示されている松田康信への問合わせや理事長松田の印鑑証明書、委任状の提示はいずれも不要であると判断し、右申込を承諾することにした。
(七) そして、同年一月二一日、下田は右契約締結の決済のため上司である被告銀行五反田支店係員竹内靖夫と同道のうえ再び前記共済会事務所へ赴いた。
右両名は、同所にて上村から前記ゴム印・丸形印の押捺のある当座勘定印鑑届並びに支払資金として現金五万円及び三菱銀行五反田支店を支払人とし右共済会理事長松田康信を振出人とする額面一一万八〇〇〇円の小切手一通の交付を受けた。
(八) 訴外上村は、被告銀行から交付を受けた手形用紙、小切手用紙を使用して、原告に無断で振出人欄に前記ゴム印及び丸印を押捺して手形・小切手を偽造し、自己のための支払いに充てた。
以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
2 右の事実関係に基づいて判断するに、本件において前記共済会規約に基づく役員名簿に共済会理事長松田康信の記載はあるものの真実は右名義人たる原告の承諾がなかつたのであるから、被告銀行係員としては、訴外上村の前記説明の確認のため直接原告方へ電話し問い合わせる等一挙手一投足の労を惜しむことがなかつたならば、訴外上村の代理権の有無、本件共済会の実体を知ることができ、従つて当座勘定契約の締結、手形・小切手用紙の交付に慎重な取扱いをしたものと推認される。
その意味で、被告銀行係員の所為には、訴外上村の説明を軽信してしまつたきらいのあつたことは否定できない。
当座勘定取引は、個々の商取引について支払決済事務を銀行に代つて引き受けてもらい、商人が日常の営業資金の出納を自ら行う煩雑さを免れようとするものであり、当座勘定契約は商人の手形・小切手による決済の便宜のために締結されるものであるが、契約当事者は当座勘定契約に基づき振出された手形・小切手について責任を負うことになるのであるから、当座勘定取引を取扱う金融機関である被告銀行としても、当座勘定契約が代理人によつてなされるようなときは、本人の委任状、印鑑証明書の提出を求め、又は直接本人の意思を確めるなど慎重な取扱いをすべき善良な管理者としての注意義務があるものと考える。
前認定のとおり、本件においては、当座勘定契約が代理人である訴外上村によつて締結されているが、被告銀行において本人たる原告の意思を確めるなどの慎重な取扱いをしていないので(当座勘定の取引銀行が他行から被告銀行に代つたときであつても、一件書類を引継いでいないような場合には、取扱いの慎重さが軽減されるものではない。)、過失があるというべきである。
しかしながら、前記認定事実によると、本件回収の対象となつた手形・小切手はいずれも訴外上村が偽造したものであり、原告の主張にかかる本件損害は右偽造の手形・小切手の行方の調査、回収等によるものであり、被告銀行の右過失は訴外上村による手形・小切手の偽造自体ないしこの偽造による損害については一般的・客観的にみて些細な関係しかもつていないと認められるから(手形・小切手の偽造は適法に入手した手形・小切手用紙を使用して一般生活上も発生する不法行為であつて、被告銀行に右過失があつたので、本件のような手形・小切手の偽造による損害の発生の可能性を一般的・客観的に高めたと認められるようなものではない。このことは、本人に無断で被告銀行と当座勘定取引を開設し交付を受けた統一手形・小切手用紙を利用して偽造が行なわれた場合も同様であるといえる。また、前述のとおり、原告の主張する損害は、手形・小切手上の債務を負担したことによる損害ではなく、手形・小切手の回収等による損害であり、手形・小切手の手形交換について異議申立制度が設けられている現状のもとでは、この損害が本件のような偽造手形・小切手の債務を回避するための措置や負担として相当なものであつたことを認めるに足りる証拠は存在しない。)、被告銀行が当座勘定契約の締結あるいは手形・小切手用紙の交付にあたり本人たる原告の意思の確認をしなかつた過失があるとしても、この過失と原告の右損害との間に相当因果関係があるものと認めることはできない。
三結論
以上のとおりであるから、原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(山田二郎)